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:supplement/Glory of Lucknow/ラクナウ王国歴史 のバックアップ(No.1)


ラクナウ王国の歴史

黎明期~最盛期

かつてラクナウ地方は巨大な一つの王国が支配していました。ラクナウ王国は北は現在のラクナウから南は鏡の海周辺の一帯まで、西はメルメト東の島々から東は深淵の領域である大地溝帯までを版図としていました。
ラクナウ王国はかつて『神々の寵愛を受けた国』と呼ばれ、多くの祭器を所持しており、その力によって広大な国家を建設出来たとされます。
アルケナル帝国が世界中に影響を与えた時代においても、ラクナウは祭器の存在によって、強い自治権と発言権を保持し、王国の体を保っていました。

王国の崩壊

しかし、そんなラクナウ王国にもあっけなく落日の時がやってきます。
正確な記述が残っていない為曖昧なものとなっていますが、およそ3,400年前、アルケナル帝国の崩壊と同時に、深淵勢力は大部隊を率いてラクナウ王国に侵攻してきました。
更には、『邪なる者たち』と呼ばれる凶暴な海賊たちが、ラクナウ地方全土で暴れ始め、王国がその対応に苦慮している間に、当時の王都であった旧ラクナウの都が少数の上位ガルクラン部隊によって攻め入られ、王都が陥落。王族は皆殺しにされ、王国の誇っていた祭器もほとんどがこの時深淵の手に落ちたとされています。
残された者たちは敗走を続け、安全な地まで逃げるか、残された街で深淵に抗い最後まで戦い続けたか、に分かれました。この時何人もの貴族騎士がそれぞれの土地で「我こそは王国の遺志を継ぐ者」と名乗り上げ、多数の小国家群が乱立しました。
その後何十年にも渡り、ラクナウ地方は暗黒の時代に包まれました。各地の島々や沿岸では凶悪な海賊たちにより略奪行為が日常的に横行し、陸の多くは深淵に侵され、その中に取り残された人々の末路は凄惨なものだったと言われています。

新生ラクナウ王国

この状況が一変したのはおよそ200年程前の事。国家も無く暗黒の島と呼ばれた現在のラクナウ王国で、「我こそは王国の血を引くもの」と名乗り上げた青年が現れました。
青年は『ト=テルタの宝剣』と『アル=グラムの錫杖』と呼ばれる失われたはずの王家の象徴である祭器や他にも多数の神器を所持し、王族特有の眩いほどの金色の髪と海の様に深い青の瞳を持っており、街に蔓延っていた海賊たちを仲間と共に掃討し、人々に決起を促しました。
人々は青年をラクナウ王の再来として迎え入れ、青年は新たなラクナウ王となり、人々を結集させ、どこからか多くの傭兵冒険者たちを大量に雇い一時的な軍を組織してラクナウの地から巣食っていた海賊たちを掃討しました。
そうしてラクナウ王は王国の復活を宣言し、今のラクナウ王国が成り立ちました。

転換期

しかし、王国が成立してもしばらくの間、ラクナウ王国周辺は大量に海賊が蔓延っており、また、海賊にカモフラージュしたアークライト周辺の小国家などからもが襲われており、食料は賄えているものの、金や物資が不足しており、苦境に立たされていました。
その為他の地方との交易もままならならず、北部の島々で採れる多種多様の香辛料といった交易に向いた品々があるものの、島の中に封じ込まれ立ままの状況でした。
当時ラクナウ王国は海軍の組織もままならない状況であり、また海戦においては百戦錬磨の海賊たちに敵う実力者をそろえることは困難でした。
そこでラクナウ王は、元々海賊上がりだった部下の協力を得て、いくつかの『邪なるもの』とは異なるいくつかの海賊団をプライベーティア(私掠)として公に認め、ラクナウ西部にある街、マドラスを彼らの自由港として利用できるようにして迎え入れ、とりわけ戦果を上げたものには騎士の称号も与えました。
それによりラクナウ地方はより海洋覇権を強く握り、また同時に他の地方への航路を開かれ、香辛料を中心とした交易が発達し、香辛料の一大産地として大きく飛躍して、経済発展を遂げました。

近年

その後のラクナウはおよそ今の通りで、海で深淵の軍や邪なるもの達と戦い続けながら、旧ラクナウ、そして神器奪還を目指しています。土地は未だ深淵から僅かも奪い返せてはいませんが、長い戦いを経て少しずつ神器が戻ってきています。
現在のラクナウは強い海軍力を持ち、常備軍を備え、また冒険者を厚遇しています。

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